はじめまして。吉開 悠悟(よしがい ゆうご)と言います。
動画制作集団「MOVIE HOLIC」、動画クリエイター養成講座「MOVIE HOLIC アカデミア」を主宰しています。
順風満帆の人生を歩んできたわけではありません。
むしろ、大学生のときからがんばり続けた音楽がうまくいかず大きな挫折をしました。
しかし、まさか、そこからのたった1年半で、これだけ大きな変化が訪れるとは、思ってもみませんでした。
僕にとって恩師とも言える、たったひとつの出会いが、僕の人生を大きく変えたのです。
元気な田舎の少年でした
僕は、1986年1月14日、岡山県倉敷市で生まれました。
田舎育ちだった僕は虫取りや、魚取りをして外で元気いっぱい走り回っていました。
小学生のときは、とにかく目立ちたがりやでした。
絵を描くのも好きで、よく授業中先生の目を盗んで漫画を描いていました。
とにかく身長が小さく、背の順はいつも先頭でした。
近所の子供会でソフトボールを習いピッチャーもしていました。
運動のセンスはありませんでしたが、負けん気だけは強い元気なチビっこでした。
中学になって、親友に誘われてバスケ部に入りましたが、やがて、部活を仕切るヤンキーが現れ始めました。
僕はヤンキー生徒から目をつけられ、いじめや暴力を受けた記憶もあります。
ですが、持ち前の負けん気でヤンキーに反発していました。
殴られたら殴り返したりして、バスケ部は最後まで続けて卒業しました。
高校は進学校だったので、勉強を中心とした生活でした。
元気な僕でしたが、照れ屋でもあり、好きな女の子に告白することができず、高校3年間を過ごしていました。
僕はバレーボール部に入りました。
弱小バレーボール部でした。
メンバーが足りず、部員集めからスタートしましたが、1年目は弱すぎて試合に一度も勝てませんでした。
県内でも有名な強豪校と対戦し、「ケガしない程度にがんばれ!」と馬鹿にされながらボロ負けしました。
みんなで毎日練習し、1年後、なんとその強豪高校に勝利し、メンバーと抱き合って号泣する、といった漫画みたいな部活動生活を送りました。
音楽との出会い
地元を離れ、山口県で大学生活を始めました。
そして、音楽に出会いました。
僕はものづくりやクリエイティブなことが好きだったので、「こんな世界があるんだ!」と音楽の魅力に取り憑かれました。
気づけば大学生活は音楽活動に没頭し、バンドを組んで、大学卒業後もずっと、同じメンバーで活動を続けていました。
「卒業した後も音楽活動がしたい」
そう親に伝えたら、猛反対されました。
僕も理解をしていました。
バンドをさせるために大学まで行かせたわけではない。
本当は周りの友達のようにしっかり就職して欲しいと思っていたに違いない。
それでも、僕は親の反対を押し切って、音楽活動をつづけました。
音楽でしか出会えない多くの人たちに支えられ、そこから長く僕はバンド活動を続けました。
全国をライブしてまわり、多くの都市を訪れ、たくさんの仲間ができました。
クリエイティブな活動が好きで、音楽を創造することができました。
レコーディングやミュージックビデオ制作を自身で手がけたこともありました。
音楽活動は、とても楽しかった。
重くのしかかる優しさと、葛藤
音楽活動はとても楽しかったが、大きな問題がありました。
それは、金銭面の苦労です。
僕たちは自分たちの人生を切り売りし、大好きな音楽活動に身を捧げていました。
バンド活動が6年7年8年とすぎた頃。
音楽で生計を立てることの難しさ、音楽業界の厳しさを痛感することになりました。
僕にはそのとき、現在の妻となる、彼女がいました。
彼女には当時から苦労をかけて、僕が音楽することを応援していてくれていました。
しかし、その応援が、時間が流れるとともに、大きく背中にのしかかっていきました。
「このままではダメだ。」
僕はなんとかしないといけないと、必死に音楽活動を続けました。
楽しさと苦しさに葛藤する日々を送っていました。
すべてを捧げてきたバンドが解散
バンド活動を開始して13年目、僕が32歳になったとき。
とうとうそのときがやってきてしまいました。
僕がずっと夢を追い続けてやってきた自分のバンドが解散しました。
どれだけこのバンドにかけてきたのか、どれだけこのバンドを応援してくれた人がいたのか。
大袈裟ではなく本当に、僕は一度死んだような感覚でした。
今まで応援してくれた人を、裏切ってしまったかもしれない。
大きく成功することができず、今まで応援してくれた人に向ける顔がない。
自分を責め、僕は何も考えることができなくなっていました。
しばらくは、何も手をつけることができませんでした。
しかし、身近にいた親や彼女、
そして、そんな僕でも応援してくれた友人達。
彼ら彼女らの激励を受け、新たに何かをはじめなければと動き始めました。
動画編集者になったが・・・
このタイミングで普通に就職して、世間的にいう「安定」を求めた方がよかったのかもしれません。
しかし、元々クリエイティブなことが好きで、また何か創り上げることで生きていければ幸せだと思ったんです。
僕は動画クリエイターの道を進み始めました。
最初は単価の低い案件でも片っ端からこなし、寝る間を惜しんで作業をこなす日々。
仕事は多く楽しい作業ではありましたが、決して楽な毎日ではありませんでした。
安すぎる単価に、生活費すらままならず、アルバイトをしながら動画制作を行っていました。
寝ずに、どれだけ大量の案件をこなしても、どれだけ動画編集スキルをつけても、月収は20万円で頭打ちになりました。
やっぱりクリエイティブなことでお金を稼ぐのは無理なのか。
僕は一生、こうやってお金に困る生活をしていくのか。
でもこの寝ずに働く働き方は、今しかできず、やっぱり会社員になるしかないのか。。。
また、葛藤する日々でした。
出会い
大変だった動画制作も、新しく踏み込んだ先には、また新しい出会いがある。
僕は今の恩師とも言えるような起業家たちに出会い、大きく発想を変えさせてくれました。
年収億超えの起業家達。
僕は彼らの言葉に耳を傾け、必死に勉強をしました。
いろんな本を読み、いろんな起業家と積極的に出会うようにしました。
それから動画クリエイターとして、扉が開けるように、変わっていきました。
僕が起業家の人たちから学んだのは、考え方でした。
それも、大きなものではありません。ちょっとした考え方です。
しかし、それだけで、僕は動画クリエイターとして1本15万円30万円といった高単価な動画制作の案件を受注できるようになってきた。
1ヶ月で平均3〜4本の高単価案件を受注し、僕は動画クリエイターになって11ヶ月目にして月収100万円を超えるようになりました。
それまでは必死に安い単価の動画制作を受けて、寝る間を惜しんで働いていたのが嘘のようでした。
きっかけは本当にささいなことでした。
たまたま出会った起業家の案件で、信頼を勝ち取り、その起業家と親しくなり、教えていただいたことを忠実に実践しただけでした。
そうすると、高単価案件が普通に受注できるようになり、むしろ、勝手に舞い込んでくるようになりました。
ちょっとしたことをやるだけで、単価は大きく上がるということを知りました。
MOVIE HOLIC アカデミア
低単価案件にもかかわらず、理不尽なことを言われ、睡眠時間を削って作業をしてもたいしたお金にはならず、いっこうに楽にならない・・・
自分が作りたい映像ではなく、クライアントの指示に従って、ただ作業をこなすだけ・・・
もうあの日々に戻りたくはありません。
そして、そういう案件で苦しみ、挫折していく動画編集者を作りたくありません。
本当に、ちょっとしたことをやるだけで、1ヶ月以内に単価は上がり、人生は変わっていきます。
この方法を伝えていくことで、ひとりでも多くの人に、動画クリエイターという仕事が本当に楽しい、と思ってもらえるようにしたい。
そう思って、MOVIE HOLICアカデミアを立ち上げ、教えていくことにしました。
僕の生徒さんは、未経験にもかかわらず初月から月収20万、翌月には月収40万と、動画制作を楽しみながら、それだけで生計を立てることができています。
そして僕は、どんどん舞い込んでくる高単価案件を受注するため、動画制作クリエイターチームMOVIE HOLICを立ち上げ、多くの企業の動画制作も担当するようになりました。
気づけば僕の月収は200万を超え、生徒さん達もどんどん利益を上げてくれるようになった。
プライベートでも、今まで我慢させていた妻と大好きなレストランで外食ができたり、犬を飼って公園に遊びにいったり、プライベートにも大きく時間が割けるようになり、ゆったりとした時間を過ごせるようになりました。
これを読んでくれているあなたへ
大きく変わった瞬間には必ず1つの出会いがあります。
葛藤し悩んだ結果、挑戦し、行動したからこそ、出会うことができました。
遠回りをしたかもしれませんが、諦めずにチャレンジし続けたからこそ、毎日楽しいと思える人生を送ることができています。
僕が特別に優れているとか、突出していることがあるわけではありません。
多くの失敗を経験し、それでも前に進み続けたから今の自分がいます。
いろんなことに悩み、苦しんでいましたが、その時新しく出会った人を素直に尊敬し、真剣に耳を傾けたからこそ今があります。
誰でもチャレンジして1歩を踏み出したら、人生を変えることができます。
僕は自分自身と生徒さんたちを見て、自信を持って言うことができます。
新しいものを創造し、お客さんに喜んでもらい、新たに生徒を育て、さらに多くのお客さんに喜んでもらえる。
僕はこの動画クリエイターに出会うことができて、本当に良かったと実感しています。
最初の一歩を踏み出すのには勇気がいります。
てもし、その最初の一歩を正しく踏み出したいと思っているのであれば、僕はあなたの声を聞き、本気で助けになりたいと思っています。
あなたに直接お会いできる日を楽しみにしています。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。